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HARADAプライベイト

見ろ、あれが俺らが探していた両国国技館だ。見ろ、あれが俺らが憧れた力士だ。見ろ、あれが俺らが恋い焦がれたちゃんこ鍋だ。みろ、あれが俺らが求めていた力士の(やけに美人な)嫁だ。

彼女とか彼氏を「相方」と呼ぶ人

たまにいるよね

「ゆとり教育」という便利な言葉

ゆとり教育が完全に終わったんだって。

www.asahi.com

 

よくわからないけど、ゆとり教育を受けてきた、いわゆる「ゆとり世代」ってよく馬鹿にされたよね、てかされ続けてるよね。今もドラマやってるよねそういうの。

 

よく言われるのは、ゆとりは馬鹿だとか、常識がないだとか、空気読めないとか、二次会行かないとか。あとスマホのフリックが早いとか。

 

まあ実際一部そういうヤバい人もいるかもしれない、けどそれはほんの一握りだと信じている。どうせ「ゆとり」という言葉があまりにもちょうどよくて、それにつけてそれっぽい(極端な)事例を当て込んでるだけだろって。(よく聞くエピソードの中には作り話も必ずあるはず。)

 

たぶん「最近の若いもんは」の新しい言い方でしかないんだろ、きっと。

だって、30〜40年位前の若者も「新人類」って馬鹿にされてたみたいだし、結局変わらないんだ、きっと。(この人たちの時はケータイすらなかったのに「あたらしい価値観」はやっぱり生まれていたんだね〜。)

新人類 - Wikipedia

 

今まで自分が信じてきたこと(風習とか?)がおびやかされることが怖いんだろ。

新しい流れだとか、覚えたりするのがめんどくさいんだろ「ゆとり」以前の人たちは、あくまで「ゆとり」をネガティブに捉える一部の人のことだけどね。

 

世代に関わらずそうでないフラットな人もたくさんいるからなんともだけど、「ゆとり」「ゆとり以外」で分けて考えるのはあまりにも画一的すぎるよなあ。

 

ま、このあと10年後・20年後もすりゃ、「ゆとり世代」だった誰かが「最近の若いもんは」理論を別の言い方でごちゃごちゃ言ってんだろうな〜、そんとき彼らはどんな髪型でどんなファッションなのか、そこだけが異常に気になる。

 

早く20年くらい経って、昔のファッション見て、ダセ〜〜〜!って言いて〜〜〜。

伏線のようなものが気になる昔話のようなもの

むかしむかしあるところに大きなコブのあるおじいさんとやけに知恵の多いおばあさんが2人で暮らしていました。

 
 
 
8月の暑い昼下がり、おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に向かいました。
おじいさんが根元の光る竹の横を通り過ぎた頃、洗濯に夢中になっていたおばあさんは目の前を大きな桃がどんぶらこと流れていったことにも気づくはずもなく。いつもの日常も流れていきました。
 
 
 
 
12月の雪が降り積もる、凍えるような夜、おじいさんは仕事から帰る途中でした。おじいさんの本職は笠売り、この日はあまり売れ行きが良くなかったようで、何枚も余った笠を持ち帰りながらの帰宅です。途中、ふと気づくとお地蔵さんが寒そうに並んでいました、優しいおじいさんはこれは寒かろうと、なんと余った笠を雪が積もらないようにとお地蔵さんへかぶせたのです。なんと優しいおじいさん。
 
しかしこの日はそれだけではありません、もうすぐ家に着くかというところ、おじいさんは罠にかかった鶴を見つけるのです。これは痛かろうと、鶴の足に挟まれた罠を外し、その鶴を家へと連れて行き、大事に治療しました、なんと優しいおじいさん。
 
数日たつと、鶴も元気になりどこかへ飛び立ちました。翌日、女性がおじいさんの家を訪ねてきましたが、おじいさんはセールス訪問と思い、追い出しました。というかつまみ出しました、おじいさんはセールス訪問がとても嫌いなようです。
 
 
 
 
春の入り口、まだまだ寒さの残る頃、おじいさんとおばあさんの2人の家に新しい家族がやってきました。それは隣のいじわるなおじいさんの飼っていた犬です。
 
いじわるなおじいさんのいじわるによって、ボロボロになっていたことを見かねたおじいさんとおばあさんが、2人で飼うことをいじわるなおじいさんに提案し、飼うことになったのです。
 
2人のもとに来た時は茶色い柴犬のようだったのですが、2人で綺麗に洗ったりすることにより、真っ白な犬だったということがわかりました。2人はこの犬の名前をシロと付けました。
 
シロはおじいさんとおばあさんにとてもなついて、ある日、おじいさんといっしょに芝刈りに行った時にとある木の根元の土をガリガリと掘り始め、キャンキャンと鳴き始めました。まるでここ掘れと言わんばかりに、しかしおじいさんは落ち着きのないシロを「静かにしなさい!」と一喝します。怒られたシロはしょんぼりして1人どこかへ行ってしまいました。
 
急にいなくなったシロの悲しみで途方に暮れていたおじいさんとおばあさんですが、後日きびだんごを持った青年と出会ったという話を聞き、たいそう安心したそうな。
 
 
 
めでたしめでたし
 
 
 

うまくいかない昔話

むかしむかしあるところにおじいさんとおばあさんが暮らしていました、おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に、川から流れてきた大きな桃から出てきた桃太郎が将来鬼退治を見事成功させ、村に平和が訪れました。
おじいさんとおばあさんと桃太郎で楽しく過ごしましたとさ。

めでたしめでたし。



むかしむかしあるところにおじいさんとおばあさんが2人で暮らしていました、おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは友達のおばあさんと街のカフェへ女子会に、おっとその前にお化粧しなきゃ。








おめかしおめかし。




むかしむかしあるところにおじいさんとおばあさんが2人で暮らしていました、おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは大好きなKAT-TUNのコンサートに、あれ?あの一番好きだった彼がいない、留学でもしたのかしら、黒木メイサと付き合ったのかしら。









あかにしあかにし。



むかしむかしあるところにおじいさんとおばあさんが2人で暮らしていました、おじいさんは山へ芝刈りに、イライラしていたおばあさんはそのおじいさんの芝刈りについていき、おじいさんの失言や失敗に付け込んで皮肉を言ったり、やり込めたりしました。









あげあしあげあし。



むかしむかしあるところにおじいさんとおばあさんが2人で暮らしていました、おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんはおじいさんが股間がかゆいというので街へ塗り薬を買いに行きました。









いんきんたむしいんきんたむし。

おそ松さんみてて思ったこと

最近、huluを登録してみた。

www.hulu.jp

なかなか面白い、映画はよく観るけどドラマはあまり観ていなかった(強いて言えば古畑任三郎、スペックなどの割と短編で終わる系は見てた)が、登録してから以前よりも観るようになった。好きなお笑いの番組もそこそこあるし、月額933円(税別)は意外といいかもしれない。
 
さて、ドラマを観ない自分がなおさら観ないのがアニメである、アニメが嫌いなわけではない、しかし完全に自分のペースで物語を観進めることができるマンガがあると、どうしてもそっちに行ってしまう。
アニメのみのオリジナルもあまりみたいと思うものもなく、強いて言えばジブリ作品くらいなものである(調べるとあれもマンガ原作ちょこちょこあるみたい)。
 
そんななか、最近久しぶりに観たアニメが「おそ松さん」。
 
 
これが結構面白い、ベースとして赤塚不二夫の「おそ松くん」があるものの、そこを知らない世代でも楽しめる内容で(むしろそこが前提か)、物語のテンポも良く、現代社会を揶揄するようなブラックユーモアも、わりに過激な下ネタもそこそこ効いてて笑える。
若い女性の間で社会現象的に人気があるらしいが、それもわかる。色使いがカラフルでポップなのである、しかもカラフルの中でも少しでも淡い色を使うところとか、かなり今っぽい。きゃりーぱみゅぱみゅとかをなんとなく彷彿とさせる色合いだなと感じる。
 
物語の内容は言わずもがな、「おそ松くん」の6つ子たちが大人になった日常が描かれている(「おそ松くん」のようなドタバタコメディといった内容)。もちろん、イヤミだとか、おでん好きなチビ太とか、その辺りも大人になって出てきて非常に面白い。チビ太とかおでん屋さんになってるし。
 
こういった、リバイバルというか、子供が主人公だった物語を改めて見ると、妄想の世界を膨らまされたようで、なんだかワクワクする。そんな感覚になるのは自分だけではあるまい。実際人気があるというのが何よりの証拠だ。
 
この、おそ松さんよりも前から同じようなリバイバル系の、大人になりました系の内容はいくつかあった。
 
印象に残っているのは、サザエさん
 
 
これはCMのみだったけど、なんだかワクワクした記憶がある、特にカツオ役が浅野忠信でいい年してでかい口を叩くあたり、少し胸が苦しくなりつつも、変わらないところに安心したような、そんな記憶がある。
 
他にも少し近い将来にはなるが、スラムダンクの「あれから10日後」など、その後系は結構あるし、それ以外にも一般の人による同人誌的な作品もあったりするみたいだ。
 
 
 
今後どんな物語がリバイバルされるんだろう、というか私個人が勝手にリバイバルしてほしいものがある。
 
 

リバイバルを期待する作品

 
 ガリガリ君、これを食べたことのない人はいないんじゃなかろうか、もしいたとしたらその人の口に無理やりにでもガリガリ君をぶち込んで感想を聞きたい。
最近では「大人ガリガリ君」というアイスが出ているらしいが、ガリガリ君自体が大人になった姿をみてみたいものである、「ガリガリ君」が大人になるとやはり「ガリガリさん」といったところだろうか、社会にまみれてイライラしてる「カリカリさん」になってたり、年をとって太ってしまい「ブリブリさん」になってたりすると少し深みが増すのだろうか。
いや、ちょっと待て、私はガリガリ君のなにを知っているんだろう。本当は何も知らないような気がする、というか知らない、なんなんだ「ガリガリ君」って、いったいなんなんだよ!教えてくれよ俺に「ガリガリ君」をっ!誰か助てくださいっっっっ!!
世界の中心でガリガリを叫んだところでまずはガリガリ君について知ろう。

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ホームページによれば、このように埼玉県の深谷市というところの出身だということがわかる、なるほどこれはガリガリ君が製造されている赤城乳業株式会社の所在地でもあり、ここでガリガリ君が生まれたということか。
ガリガリ君は小学生であり、何年生かは不明のようだ、2000年までは中学3年生という設定だったらしいが、なぜ小学生になったのだろう。見た感じは高学年ほどの落ち着きはなく、低学年ほどの幼さもない、おそらく四年生なのではないだろうか。というか、なんというTシャツ着てるんだガリガリ君は、ちょっと欲しいじゃないか。
そして何より無視できないのが変身するとシャリシャリ君になるという秘密である、秘密より何より変身?なぜ?となるところではあるが、そこをグッと我慢して変身した姿を確認しておきたい。
 
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 見覚えのある人もいるだろう、かれこれ3年ほど前に販売されていたこのシリーズ、私も何度か買って食べた記憶がある。なぜ変身したのかについてはわからないままであるが、赤城乳業株式会社的には「華麗なる失敗」とのことで、ガリガリ君カリカリする前にこれ以上触れるのはやめにしよう。
 
ちなみにガリガリ君には妹がいるらしくその名を「ガリ子ちゃん」というらしい、すごい名前だ、ジャイアンの妹の「ジャイ子」に匹敵しうるキラキラネーム、いや、ガリガリネームだ。
 
そんなガリガリ君の大人版をみてみたい、普通のサラリーマンとして頑張るガリガリ君か、意外に経営者になってたりして、はたまた流浪の旅人的な流れも面白そうだ。もしかしたらそのまま大人になってもガリガリ君は小学生のガリガリ君のままなのかもしれない。
 
ガリガリ君の今後の動向に目が離せない、こともない。
 

ガリガリ君オフィシャルグッズサイト

こんなのもあるらしい、知らなかった〜〜

ゴオルデンウイイク

なにもない日々が、ふと教えてくれることがある。

GWに入るにあたり、俺の予定はどんどん埋まっていった、飲み会の予定・彼女との旅行の予定・またまた飲み会の予定・あいだに親との時間、他にも隙間に入れれるだけ入れようともくろんでいた。転勤で東京に来てから初めての大型連休だ、ありがたいことに有給も取得できて10連休という夢のような長期の休暇となる。ゆっくりする暇もないほどに楽しもうと、そんなことばかり考えていた。

しかし、そんなワクワクもあることがきっかけとなってすべて崩れ去った。

GWの初日、念のため1日予備費として予定を空けていた。空けておいてよかったというべきか、休み前日に仕事が終わらず休日出勤をすることになったため、午前中から昼にかけて会社へ向かうことになった、その後一旦自宅へ戻り翌日からの帰省に備え部屋の掃除と洗濯を済ませることに。

夜はどうしたかというと、数日前から大学の先輩とGWの初日に行けたら飲みに行こうと軽く話しており、当日先輩がたまたま近くに来る用事があったため、それなら飲みに行きましょうということになった。

先輩は就職から東京にきて、もう4年が経つ。大学時代はよく二人で会うこともあって本当に仲良くさせてもらっていたが、いろいろあって自分と同じタイミングで就職を決めてからは距離的にどうしても会うこともなくなってしまい、たまの年末年始とかお盆とか、そんな時に二人以外の大勢の飲み会で一緒になるくらいだった。

飲み屋に向かう道中、二人で飲み屋で飲むなんて初めてかもしれないという話で少し盛り上がる、それもそうだ、思い返せば二人で飲みに行くなんてなかったような気がする、会うとすれば当時も一人暮らしだった俺の部屋で宅飲みしたり、ファミレスで飯食ったり、まともに居酒屋に行くようなこともなかったな。

とはいっても数年のブランクがあるとか、実は二人で居酒屋が初めてだとか、そんなもんは全く関係のないほどに先輩との話は盛り上がった。とても楽しく、当時と変わらないテンションで久しぶりに時間を忘れるような感覚だった。

何度かトイレに行って、ほろ酔い気分でいい感じになってきた頃。なんとなく自分のポケットに手をやると少し違和感を感じた。

いつもならお尻のポケットに財布を入れているのが、無い。

他のポケットも探ったが、無い。

酔いがみるみる冷めていった。

トイレにあるかもしれないと思い、トイレも見たが、無い。

先輩が言うには部屋に忘れてきたんだろうと、確かにその可能性も十分にある、でも財布を忘れるなんてほとんど経験がない、そもそもケータイと財布とカギしかポケットに入れていないから、ないなら部屋を出る時に気づくはず、かなり嫌な予感がした。

ひとまず飲み会を終え、店を出る時にも店の人に忘れ物を確認したが、財布の落し物はないとのことだった。

俺の家で飲み直そうということになり、嫌な予感をかかえつつ部屋に戻り部屋の心あたりのあるところを探したが、無い。

結局警察に遺失物届けを出すことに、警察にも届けられていなかった。

部屋に戻り飲み直すことにはなったが、テンションの下がった自分に影響されてか、酔いも回ってか、先輩は30分もしないうちに眠りについた。

思い起こせば、大学時代も今日は語りあかそうとやってきた先輩が宅飲み開始1時間もせずに寝入り、朝方8時頃に起き、すぐに帰ったこともあった。よく寝る先輩だった。

俺は単純に無くしたショックと、見つかったと警察から連絡が来るのではという淡い期待で、眠れずにいた。

しかし、翌日は早朝から帰省する予定だ、変に眠れずにいるよりは無理矢理にでも寝たほうがいい、とりあえず銀行カードを止める手続きを行い、眠りにつくことにした。

 

翌日の7時頃に起きた、寝起きの悪い自分がウソのようにスッと起きることできた。起きるなりケータイをみるが警察からは連絡が来ていない、見つかってないのだろう。奇跡を信じて部屋をもう一度見回すが、やはり無い。

諦めが悪いやつだと思いながらも警察に電話する、やはり届け出はないとのこと。がっくりと肩を落とした。

そうこうするうちに先輩も帰り、自分もこんな状況だけどとりあえず地元に帰ろうと思い、通帳を持って部屋を出た。カードは止めたが通帳は使えると昨日の電話口で聞いた。

最寄りのATMに向かい、通帳でお金をおろそうとするも、できない。なぜかキャッシュカードと一緒じゃなければおろせないタイプの通帳だとか、平日しかおろせない、そもそも現金すらも持っていない、おしまいである。

GWが終了した。

関係各所に連絡を入れる、親へ連絡、彼女へ連絡、友人へ連絡、どうにかして月曜日に帰ろうかと思ったが、その気力も無くなってしまった。

いろいろな予定が崩れ去った。

しかし、だ。

ある意味それはそれでよかったのかもしれない、と思うようになったのも、東京に来てから3ヶ月経つが、なんだかんだゆっくりと一人の時間を過ごすようなこともなく、ゆっくりと自分の時間を過ごすことができているからだ。

 今回の財布紛失という、かなり大きなダメイジではあったが、そのような大切な時間をもらったのかもしれないとあれから二日経ってそう思えるようになった。

このまま元のスケジュール通りバタバタと遊んでいてはおそらく感じることのできなかったであろう、このゆったりとした時間を感じたことは、他には変えがたいものなような気がする。

積ん読している本を読み、登録しっぱなしだったhuluのドラマを一気見し、撮り溜めしていた録画を見たり、丁寧に米を炊いてみたり、ゆっくりとお茶を入れてみたり、最近回数が減っていたtwitterでつぶやいたり、時間をかけて掃除をしたり。

やることはいっぱいだ、そもそも俺は遊ぶことよりも優先してすべきことのほうが多いな、そう感じた。

中途半端な自分が、将来のことについて考えてみたり(なんとなく日々の忙しさでごまかしていた部分)、今の仕事を続けるか真剣に考えたり。このGWはそのためにあったのではないかとすら思い始めてきた。

東京に来る前にやりたいと思っていたことも、東京じゃなくてもできるし、東京ではやりたくない、そうだったんだよな、思い出した。

なんのために東京に来たのか、よくわからないままにきた。

きてすぐに思ったけどね、結局は自分が変わらない限り環境を変えても同じだって。

そういうことを気づかせるために財布を無くしたんだというのならば、それは、とても安いもんなのかもしれない。

 

命があるだけ良かった。

ホンジツのバカヤロウ

ホンジツは、大変天気も良く、いかにもバカヤロウな日よりである。
サクジツは、天気が悪く、これまたバカヤロウであった。
それにしても春である、思いのほか春である、もはやバカヤロウである。
桜も散った、見事に散った、散り際はやっぱり、バカヤロウな気持ちになって、思わず言った『バカヤロウ』と。
夏になるといろいろとイベントも増えてくる、花火大会なんかも夏の風物詩(バカヤロウ)だ、職人たちがバカヤロウのごとく花火を打ち上げる、さながら夜空に輝く一輪のバカヤロウだ。

バカヤロウ、夏だ。

かくいう私もバカヤロウであり、人類皆兄弟ばりの人類皆バカヤロウなのだ。
飛んで火にいるバカヤロウに井の中のバカヤロウ大海を知らず、バカヤロウも木から落ちて、急がばバカヤロウ、藪からバカヤロウ。

踊るバカヤロウに、見るバカヤロウだ。

バカヤロウは、素晴らしい。